こんにちは。BBライブスタジオ担当の谷友梨子です。
四日市競輪場をホームバンクとし、 約24年と半年活躍されました水谷弘泰さん(52期) が、 2008年2月15日をもって引退されました。
まだまだ活躍できるのに「なぜ?」と思われたファンの方も多いかと思いますが、持病の腰痛が悪化し、 ファンの皆様の期待に応えることができないということで、 引退を決意。先月行われました、 F1ナイター初日、2月21日(木)に、このBBライブスタジオで、ファンの皆様に最後のご挨拶をされ、 四日市競輪場を後にされました。
水谷さんとは同級生の佐久間幸人選手(51期)は、 「水谷がいるから俺も頑張ってこれたのに…」、また、同期の岩尾正人選手は、 「俺が水谷の送別会を出すとは思わなかった…」と、ポツリと呟きます…。
水谷さんとは、 幼稚園からずっと一緒の佐久間幸人選手(51期)は、「水谷は、小さい頃から運動神経ゼロ。 幅跳びは飛べないし、足は遅いし…。選手になれる要素なんてひとつもなかったよ」と、話します。
そんな運動音痴の水谷少年でしたが、佐久間幸人選手のお兄さん、佐久間重光選手 (41期)に憧れて「選手になりたい!」と決意したそうです。
中学校を卒業してすぐ自転車を組んでもらい、練習を始めました。
高校は「桑名西高校」。自転車部がある高校ではないのですが、憧れの重光選手がその高校出身の為、 何故か(?)「そこに行かないと選手になれない」と思ったようで、塾に通って勉強したそうです。
自宅から高校までは、片道15キロ。その道を毎日毎日自転車通学。しかも、学校に行くまでには、 一山超えなくてはならず…、またその山の頂上(一番辛いクライマックス)がちょうど学校に着く手前にあったそうで。でも、 選手になるためにひたすら自転車に乗りこむ毎日。
2008年2月21日(木)BBライブスタジオで。 四日市の選手が花束を持って駆けつけてくれました。
授業が終わると、一目散に練習へ。
6時限目の終了を告げるチャイムが鳴り始めると教室の席を立ち、鳴っている時には、 校舎と校舎の間を一目散にダッシュ、チャイムが鳴り終わった時には自転車にまたがっていた」という水谷少年…。これは、全校生徒にも有名で、 桑名西高 名物だったそうです。
アマチュア時代、佐久間幸人選手とはいつも一緒に練習していて、 公園のベンチで寝転がって練習をサボろうとしている幸人選手に「練習にいこうよ~」と、手を引っ張るのが水谷さんだったとか。
先に選手を目指して練習を始めたのは水谷さんではありましたが、先に競輪学校に合格したのは、 幸人選手…。その時の気持ちを訊いてみると、 「やっぱりそれは力が違うからしょうがないと思った」とは話してくれましたが、それは今だから言えること。 水谷さんの当時の気持ちを考えると…。
半年後に合格となりますが、周りの人も、「どうしたら水谷は選手になれるんだろう」 と困っていたほど、はっきり言って素質が無かったそうで。
師匠も水谷さんにアマチュアには考えられないくらいのハードなノルマを課して、 水谷さんもそれに食らいつく日々。「この練習をこなして、それでダメだったら、もう選手は無理だろう。その時は諦めなければ…」 そんなふうに考えていたそうです。
昨年12月、四日市競輪場の大掃除では、こんなお茶目なシーンも。
52期生で、念願の選手へ。
デビュー戦は、1983年9月1日岸和田(新人リーグ)。結果は… 2・失・ 2。この結果を見ると、誰もが「水谷らしいね」と、ニンマリします。
同県同期の、岩尾正人選手によると、「新人リーグで、失格3回。 力は上位だったんだけど、一番下のB2からスタートだったよ。敢闘精神に溢れていたからねえ」と、 これまたニンマリ。この皆さんの反応で、水谷さんのレースぶりがお分かりいただけるかと思います(笑)。
もちろん、選手になってからも練習は真面目。
佐久間幸人選手は、「水谷は、自分は人と同じではダメ。そう思って、 2割増し3割増しの練習をしてたんじゃないかな」と話します。
新鋭の若手も多い練習グループ「北勢(ほくせい)グループ」のリーダー。 練習を見させてもらっていると「昔よりキツい練習やってるよ」と、バテながらバンクから引き上げてきていた水谷さんの姿を思い出します。
北勢グループが四日市バンクで練習をする時の控え室には、幾つかイスが置いてあって、 誰のイスと決まっているわけではないんですが、暗黙のうちにみんな座る場所が決まっています。競走などでその人がいなくても、 誰もそこには座りません。水谷さんの場所は、入り口を入ってすぐのイス…。しばらく経たないと…、誰もそこには座れませんね…。
この右端が水谷さんのイスでした…
ラストランは、2008年1月3日第11レース優秀戦。
中部勢目標なく、2センターでは最後方…。しかし、 自ら内に切り込んで、直線では中を割って…、俊敏な立ち回りを見せて4着に突っ込んでいました! 敢闘精神溢れるまさしく水谷さんらしい競走!!
通算出走数2135回、優勝13回、通算230勝。ホームバンクでの競走を最後に、 25年と半年の選手生活にピリオドを打たれました。
水谷さんには、今、 95回生として競輪学校で頑張っている弟子、坂口晃輔君がいます。 昨年、秋、競輪学校に出発する前に坂口君は、「とにかく強くなって帰ってきて、早く師匠を決勝で引っ張れるようになりたい!」 と話してくれていました。
95回生 坂口晃輔君
後日、水谷さんにその事を伝えると、「でも、あいつ(身長が)小さいから、 後ろについても風が当たるなあ」なんて言いながら、でも嬉しそうに笑っていました。私もその師弟連係を楽しみにしていて、また、 坂口君もそれを目標の一つに頑張っていたと思いますが… 残念です。
連係の夢は叶いませんでしたが、水谷さんの唯一の弟子として、 坂口君には師匠の分まで頑張って欲しいですね。
水谷さん、本当にお疲れ様でした!これからのご活躍を心からお祈りしております!